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gigg'n DUB?
littttoral.exblog.jp
KEEP YOUR AXIS
THE TOKYO ART BOOK FAIR 2010に参加します!





K team made a brand new zine KEEP YOUR AXIS to join TOKYO ART BOOK FAIR 2010.
It is a zine that collaborated with my friends,karimeroo and ryuta abe.
The content of this zine is like a catalog of bag that made by karimeroo.Photographs with plenty of drawings and words in this zine.We made a special poster too. Limited 20.
I also made a mini size zine LLZ.
I collect my daily drawings in it!
I'll upload the images of these zine the sooner in my blog, so please check it. I hope you like it!:)


かねてから構想してたkarimerooとのコラボzine、
ついに完成しました!!写真はryuta abe、デザインは私です!

karimerooがちくちく作った素敵なバッグたちと、写真、文章を織り交ぜた、めくるめくカタログzineでございます。
なんと特製ポスター付き。limited 20です。
published by Kteamということで、
ryuta abe、kouhei hayakawa、karimeroo、littttoral and moreという未知数ユニットKteamをよろしくです!!
Kteamからは、他にもryuta abeとkouhei hayakawaが作った、素晴らしい「FAIL or NOT」という貨幣と価値の概念を覆すようなzine(必見)、karimerooのドローイングzine(やらかしてくれてます)、littttoralの豆サイズzine「LLZ」(hot笑)が並ぶよ。


そしてTHE TOKYO ART BOOK FAIR 2010関連でもうふたつ、
お知らせ。
ASOKOブースの「ASOKO MAGAZINE」にも企画で参加させてもらってます。ざっくり言うと、水着。それとコラム少々。こちらも要チェケら!水着企画に参加してくれた作家達の作品はほんとに素晴らしいので是非見てね。私もたくさん文章書いてます。なんとB4版という大きさ。漫画からコラム、インタビューまで盛りだくさんの内容です。「アノニマス」そして「視点の変換」…、想像力は世界を変える!
◯4D2Aブースから出す、ヌケメの作ったzineにも広告だしてるよー。作品の写真と広告で構成されているどでかいものです。楽しみ。

いろんな人たちと良いものを作れて私はしあわせです!!

というわけで、今週金土日はTHE TOKYO ART BOOK FAIR 2010に集まれ〜。
私は土曜日にいます!見つけたら声かけてね!私も声かけちゃいます!


以下詳細------------------
THE TOKYO ART BOOK FAIR 2010
◯開催日:2010年7月30日 (金) ~ 8月1日 (日)
 ◯時間:11:00 – 19:00(7月30日、31日)、
             11:00 – 18:00 (8月1日)
 ◯会場:3331 Arts Chiyoda 
    東京都千代田区外神田6-11-14
    (↑こっちの会場にいます)
     Vacant 東京都渋谷区神宮前3-20-13
 ◯入場料:無料 (どなたでもご入場いただけます)
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# by littttoral | 2010-07-27 22:56 | information | Trackback | Comments(0)
告知2:TEE PARTY参加してます
先日ついにはじまりました、TEE PARTY
もうご覧になったでしょうか!
TEE PARTYの中のCADEというレーベルから、littttoralのデザインしたTシャツが買えます!!!!!
初回に出したデザインは、FUCK YOGA、emoshima、MEEK
というラインナップでございます。
全種類ともパワーアップさせているので見てみてください!そして、か、買ってください!
littttoral商品一覧はコチラ



グラデーションバージョンです!!


エモい〜


世界初(?) ジョーミークTシャツ!

FUCK YOGAのシルクスクリーンバージョンは現在、
高円寺のかっこいい古着屋さん黒BENTZにてシャーベットブルーとシャーベットピンク各Mサイズも買えます!
手刷り版が欲しい方は、私に直接メール頂ければ作りますので
littttoral(at)gmail.comまで☆(at)=@  t が四つです笑。

TEE PARTYは680種類以上のTシャツを取り揃えているみたい!!
今後どんどん増えていくので、
ぜひぜひお気に入りのTシャツを見つけてください!
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# by littttoral | 2010-05-27 14:44 | Tshirts | Trackback | Comments(0)
告知1:元我堂 春のドローイング展!
こんにちは。告知ひとつめ。
阿佐ヶ谷にあるアートスペース元我堂で始まった、『春のドローイング展』に参加しています。
自分が大学を卒業するときに作った雑誌の中で描いた、(伝説の)漫画原画を出しております。
途中で展示変えます。おたのしみに!

以下詳細
春のドローイング展!
2010年 5月 22日 ~ 6月 6日
営業時間 18:00-22:00 月曜定休(祝日除く)
イベントもやるみたいなので詳しくは元我堂のページをチェックしてください!
元我堂
# by littttoral | 2010-05-27 14:16 | information | Trackback | Comments(0)
「らっしゃい!いいフリマ!」
GWとくべつ企画 「らっしゃい!いいフリマ!」in CULTIVATEに出展します。
今日はASOKOのFUきん君と一緒に大量のTシャツを刷りました。



Tシャツのボディを新たに、「いいやつ」にしたFUCK YOGA TEE(ボディの色は2種類で、ピンクとシャーベットブルー)が買えますので是非チェケらおねがいします。今回はピンクと蛍光むらさきだよ。



たぶんCULTIVATE、モノたちでごったがえすんじゃなかろうか…
是非掘り出しにきてね!!

以下詳細



[開催日時]

2010年5月1日(土) と 2日(日)

14時から18時くらいまで 

入場無料


[場所]

馬喰町 CULTIVATE


[参加者]

井口弘史

大川久志

小田島等

かおりーぬ

カガリユウスケ

カスミちゃん

菊池良助

ゴロゥ

坂脇慶

sac

とこちゃん

永江大

ヌケメ

林弘樹

松原由香

myz

[ASOKOからの出店]

アサちゃん

アルマンド

山下陽光(素人の乱)

伊藤さん(FUNN/ansonyome)

沖 真秀

oboko

nanook

pootee

前田和彦

mascotboy

youngcalvi

ASOKOcrew

[BGM]

HOP_KEN a.k.a 杉本くん

[会場情報]

CULTIVATE

〒101-0031東京都千代田区東神田1-3-5

ミツヨシビル1F (P2G GALLERY内)

JR 総武線 馬喰町駅徒歩5分、

都営新宿線馬喰横山駅徒歩7分、

東京メトロ 日比谷線 小伝馬町駅 徒歩10分


[連絡先]

info@cltvt.org

http://www.cltvt.org/
# by littttoral | 2010-04-30 04:16 | information | Trackback | Comments(0)
stylebank
月曜なので、はじめました。

月曜日は私にとって、朝だったかな
The story,all names,characters and incidents portrayed in this production are fictitious.
No identification with actual persons,places,buildings and products is intended or should be inferred.なんつって

本!

# by littttoral | 2010-03-08 06:51 | information | Trackback | Comments(0)
アソコスーパーマーケット


20日からやってる高円寺ASOKOのアソコスーパーマーケットに
Tシャツ数点出品させていただきましたー。
FUCK YOGA TEEが破格の値段で買えます。FUCK YOGAを古着屋さんが買ってくれたのですんごいうれしかったです。
あとgigg'n DUBTeeとジョーミークなどもあります(ボディはペラペラなので格安!)。ASOKOの紙とカッターとスプレーで作ったHoly shitちびTeeも。
本日21日までだよ。とっても楽しいよ。
openは12:00~

詳細はコチラ→高円寺のASOKO
pooteeくんの日本語ミックスCDや大川久志くんの新しい本、ラジカセ、ASOKOグッズ、本、おもちゃなど!!!
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# by littttoral | 2010-02-21 05:21 | information | Trackback | Comments(0)
ビッチマグネット読んだよ
舞城王太郎の「ビッチマグネット」を読んだ。

ビッチの男版ってなんだろうと思ったんだけど、英語で言うところの、son of a bitchですか(笑)
で、ビッチマグネットによると、ってこともないけど、bitchは広義の意味で不平不満を言うってことになるので、そんなの多かれ少なかれ老若男女ビッチではないかということになって、主人公も対象が広がりすぎて収集がつかないって言ってました。そんでもってまじめな子は本質的にはビッチではないということだそうですが、私はやはりろくでもなく、概念とかイマジネールなものとか、抽象的な世界の中で生きているので、まじめさについても、行動と感情と身体とすべてあわせても、現実的な見解ができません。対象が記号になるとき、感情が体にもってかれるとき、またはその逆、正論ってなんだろう、正論で勝負することへの抗えなさ、そのときがすべてなかんじ、本質や本音を嫌う人々、そういうひとたちとコミュニケーションするにはどうしたらいいんだろう、と思った訳です。私はなんども同じ事を繰り返している気がする。それは、それ以外できないからで私がどうしようもないバカだからかもしれない。うすうす気づいてはいたのだけれど。

続きはこちら…
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# by littttoral | 2010-02-19 01:55 | columns | Trackback | Comments(0)
CULTIVATE#2 ヌケメ

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ヌケメが明るい部屋と
CULTIVATEの2箇所で同時に個展を開催します。


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明るい部屋では、23/24(IMA KANZIRU KOTOGA SUVETE)と題し、写真をメインに過去の作品や手紙など、様々なモノを展示、CULTIVATEでは、1/24(ENTROPY)と題し、
新作の洋服を展示します。

CULTIVATEでは金土のみオープンですが、事前に連絡をいただければその他の日もオープン可能です。
是非お越し下さい。

CULTIVATE#2
ヌケメ「1/24 (ENTROPY)」

●開催期間
2010年2月26日(金)〜3月13日(土)
金・土のみ
14:00〜19:00(平日も不定期オープン)
※平日ご覧になりたい方は、事前にメールでご連絡ください。

●開催場所
CULTIVATE
〒101-0031東京都千代田区東神田1-3-5 ミツヨシビル1F (P2G GALLERY内)
JR 総武線 馬喰町駅徒歩5分、都営新宿線 馬喰横山駅徒歩7分、
東京メトロ 日比谷線 小伝馬町駅 徒歩10分

●メール
info@cltvt.org

●オープニングパーティ
2010年2月27日(土)14:00〜 
軽食+飲み物
※近隣は住宅街である為、外での大勢での談笑・喫煙などは
ご遠慮ください。
※会期中にトークショウ、イベントを開催予定

●同時開催

ヌケメ「23/24 (IMA KANZIRU KOTOGA SUVETE)
2010年3月2日~3月7日 at 明るい部屋(四谷三丁目)

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飛ぶ鳥落とす勢いのCULTIVATE。
黒い線で絵が描かれた白い壁が私に語りかけてくる、それは彼女と、そして絵を描く行為との神聖な関係を浮き彫りにするとても小さくてかぼそい声なのだけど、心と耳にぐさぐさと大切なものが、確かな強度を持って、刺さってくるのが見えた。「えをかくおんなのこ」s a cの「ライトなカルト」がクローズし、次回の展示はヌケメです!
根本的なメディアとしての服を辺口芳典とのセッションによって、作品として提示しつづけ、クリティカルに、そしてばかばかしく、そして本気で、一番まじめに楽しんでいる彼の今後が私はとてもたのしみです。
「あの帽子」はネット上のあらゆるところで話題沸騰!新作もやってくれてます!チラ見しましたがヤバしです!



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# by littttoral | 2010-02-16 04:22 | information | Trackback | Comments(0)
ヌケメ フライヤー用写真
ヌケメのフライヤーに実は使われているのはこの写真たちです。






写真はヌケメ君、被写体は私です。
# by littttoral | 2010-02-16 02:47 | other works | Trackback | Comments(0)
ヌケメ 個展フライヤー デザインしました




明るい部屋とCULTIVATEの2箇所で同時に開催される、
ヌケメの1/24 ENTROPY、23/24 IMA KANZIRU KOTOGA SUVETEのCULTIVATE#2の方を、ヌケメ君とアイデアを出し合い協力し合い、裏表デザインしました!

エントロピー感じてください。内部へ転回していく力、大切に。

みなさんみかけたらじゃんじゃんフライヤーもらっていってね!なんなら飾ってね!
そして絶対ヌケメ君の個展を満喫してください!

# by littttoral | 2010-02-16 02:21 | design works | Trackback | Comments(0)
『ウィリアム・ケントリッジ——歩きながら歴史を考える そしてドローイングは動き始めた……』
ウィリアム・ケントリッジの展示見に行ってきたよ
東京近代美術館

『19世紀的な映画のあり方、あるいは映画装置、ケントリッジがずっと考えてきたという「分裂する自己と近代的視覚に内在する矛盾」つまり視覚の曖昧さ、はたまた恣意性や不確実性などを十分に意識できる内容。映像作品をじっくり見るとなると、多く見積もっても5時間は時間を取って欲しいところ。
アフロ・ディズニーにおける「視聴覚分断」のイデオロギーを十分に参照すると、たとえば映画には、ある対象を捉えようとカメラを回した瞬間から、その1フレームには私たちの生きる日常=ノイズに満ちあふれた背景が、同等の強さで現れてくる。

続きはこちら…
# by littttoral | 2010-02-03 06:52 | columns | Trackback | Comments(0)
チャイチャイのロゴ
12時を過ぎ、yumyumを食べ、めっちゃ元気でたのですが、目がしょぼしょぼになるも、ゆかチャイチャイ作ってみた。笑
(yumyumにはまりそうです)



ゴロゥチャイチャイも、もち、あります!サイコー!

楽しみですね、sacの展示!!!盛り上げましょ〜

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# by littttoral | 2010-01-23 03:39 | design works | Trackback | Comments(0)
こんどうさくら ライトなカルト

s a cこと、こんどうさくらちゃんが、昨年11月に大阪DOORS GALLERYで行われていた展示「ライトなカルト」をついに東京で開催します!!!
さくらちゃんが大阪で感じたものを元に制作した新作も見られるとのことです!
フライヤーもめっちゃかわいい!
23日はみんなでCULTIVATEへ!!!
オープニングでは展示カタログもつくお茶とお菓子のセットあります。私もチャイユニット、チャイチャイとしてチャイを出させていただきます!

日だまりの中みんなでさくらちゃんの絵に囲まれてほっこりしましょう。

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CULTIVATE#1

こんどうさくら「ライトなカルト」

●開催期間

2010年1月23日(土)〜2月14日(日)
土・日・祝日のみ
14:00〜19:00(平日も不定期オープン)
※平日ご覧になりたい方は、事前にメールでご連絡ください。

●開催場所

CULTIVATE
〒101-0031東京都千代田区東神田1-3-5 ミツヨシビル1F (P2G GALLERY内)
http://www.cltvt.org

JR 総武線 馬喰町駅徒歩5分、都営新宿線 馬喰横山駅徒歩7分、
東京メトロ 日比谷線 小伝馬町駅 徒歩10分

●メール
info@cltvt.org

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●オープニングパーティ

2010年1月23日(土)14:00〜17:00
お茶+クッキー ¥500 (展示ミニカタログ付き)

※近隣は住宅街である為、外での大勢での談笑・喫煙などはご遠慮ください。

# by littttoral | 2010-01-16 12:25 | information | Trackback | Comments(0)
ノグチ!モエレ沼!
またまた発掘したので自分レトロスペクティヴ。まだ行ってないけど早く行きたいなあモエレ沼公園。

東京都現代美術館で行われてたイサム・ノグチ展のコラム(800字くらい)@学生時代


東京現代美術館で行われているイサム・ノグチ展は、開催初めに行ったにも関わらず大入りであった。11月22日現在では入場者数が10万人を突破、会期は27日と迫っている為大変な混雑が予想されている。

この人気ぶりは何なのか。それは今年生誕100年である20世紀を代表する彫刻家・デザイナー/イサム・ノグチの最後にして最大の作品である「モエレ沼公園」が没後17年を経て7月に完成したことで、彼をめぐるメディアの動きが活発であったからだろう。主催である日本テレビではノグチに関するドキュメンタリーや特別番組が放映され、CasaBRUTUSをはじめ、エクスナレッジムックといった各雑誌は大々的に特集を組み刊行している。それに加えて、復刻されhhstyleで販売されているノグチのAKARIシリーズやコーヒーテーブル、カップ・ソーサー等が持つ「下部に重きを置いたボリューム」のデザインによるかわいらしいある種の愚鈍さ、が孤高の天才と言われる彼のイメージから離れたところで親しみやすさを再生し、時代を超えての人気につながっているのかもしれない。知的なアミューズメント感覚で展覧会に行き、インテリアブームの波と共に、デザイナー/イサム・ノグチの名が美術にそれほど興味がない一般消費者まで浸透したことも挙げられるだろう。

この展覧会では、彫刻家としてのイサム・ノグチの初期彫刻作品から、彼の大きな夢であった公園の遊び場「プレイマウンテン」の模型、晩年の石の彫刻「エナジー・ヴォイド」まで約50点もの作品で彼の活動を辿ることができる。医学を志していたノグチは、偉大な師である彫刻家ブランクーシに出会うことでアーティストへの道を歩む。彼の初期の彫刻作品はイサム・ノグチ独特のずんぐりとしたボリューム感の中にも張りつめた鋭さがあり非常に興味深い。それがどんどん年を追う事に滑らかになり、作品のスケールが大きくなっていくのだ。
下部に重きを置いたボリュームのモノが、ヒューマンスケールを超えて巨大化すると文字通り視覚では全体を捉えきれず、圧倒的で、巨きな力をもった存在になりかわる。人々が任意に視界によって作品を切り取り、細部の「感触」や「重さ」と直面することで、「かわいらしい愚鈍さ」が神秘的なエネルギーに変わる。モエレ沼公園の模型に見られる鈍さの違和感は、実際に自然の中にそびえる作品を映像で見ると、地に足をしっかりとつけた安定感が、公園内の人々の自由な動きとの対比としてそこに在る。モエレ沼公園自体が、本来自然の中に潜む数学的な美しさを体現しているようにも感じるし、黄金比に裏打ちされた、無意識の美しさを人々が全身で享受しているようにも見える。
イサム・ノグチの外しているようで実に的確な創造性に、私はただただはっとする。

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# by littttoral | 2009-12-31 01:34 | columns | Trackback | Comments(0)
うつゆみこ個展『はこぶねのそと2』


2010年1月8日(金)から31日(日)まで、恵比寿のNADiff A/P/A/R/T 2F、G/P galleryにて、うつゆみこさんの個展
『はこぶねのそと2』が開催されます!
(オープニングレセプション 1月8日(金)18:00~)

新作はもちろんのこと数年前の作品など、
たくさん観られる模様です。
会期中には、ソニーデジタルから販売される
写真集のサイン会が開かれるのだとか!

是非是非足を運んで下さい!!
私は来年になるのが楽しみです!!!

個展の詳細はこちら
うつゆみこさんのブログ

# by littttoral | 2009-12-29 20:49 | information | Trackback | Comments(0)
立派な詐欺師



大好きな映画、ゴダールの「立派な詐欺師」のイメージ。
号泣した。いつかゴダール全集を大人買いしたい。

らくがき。指は死角で4本に見えるだけですから…
# by littttoral | 2009-12-13 09:25 | other works | Trackback | Comments(2)
illustration for Keeler-zine



ハリー・スティーヴン・キーラーのThe Riddle of the Travelling Skullをイメージして書いた、友人のための挿絵。
邦題は「旅する奇妙などくろ」!!!awesome!
チャイナマンが火を借りる!
# by littttoral | 2009-12-13 09:16 | other works | Trackback | Comments(0)
TODAY'S JUICE



ただのらくがき
# by littttoral | 2009-12-13 09:01 | other works | Trackback | Comments(0)
ZINEの文章?4  原点


体の中に、その場所がどこにあるのかは分からないが、
ある原点から浮遊している心の存在を確信した。

# by littttoral | 2009-12-13 08:48 | other works | Trackback | Comments(0)
ZINEの文章3 内緒




冒頭部を飾ったもの。
夏に作ったから夏っぽい。
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# by littttoral | 2009-12-13 08:38 | other works | Trackback | Comments(0)
豊田利晃
こちらも3年前に友人の作った雑誌に投稿したもの。


割とタイムリーなので、いいかな。

豊田利晃最新作撮りましたね。「蘇りの血」12月19日公開。
ユーロスペースでは今日からレトロスペクティブも。
行きたいなあ。

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イケナイオモチャ

豊田利晃の映画を見ていると、いつも思うのですが、映画というものを純粋に楽しんでいる人間の意識を一瞬にして醒めさせる表現を使ってくるのです。それもここぞという時にです。それは大抵映画の終盤の一番重要なシーンあるいはラストシーンで、世にも極悪なCGを使ってナイフの雨を降らせたり、何やら、キラっとやったり、あからさまに血の豪雨を降らせたりするわけです。
それはなぜなのだろう、と考えてみたのですが、豊田利晃にとって「男とは女の不良品である」という認識が根底にあるのではないかと。それは処女が故に男に対して絶望的とも言える幻想を抱いてしまう少女と同じなのです。その少女性が歪曲した結果としての暴力性の追求とでも言いましょうか、つまり極悪なCG表現に駆り立てている彼の創造力には、どんなに人が殴られて血を流しても、すべてが浮遊してなんだか愛とかいう曖昧なものへと収束されていく、メルヘンさがあるのです。つまりはファンタジーです。
(心から、ソフィア・コッポラになれなかった男とでも言いたいところですが)
大概にしてソフィア・コッポラ好きの女子は角田光代を崇めますから、その点に関しても豊田利晃がいかに少女であるかというのが立証できるのではないかと思っています。
しかし彼のその少女性こそが、天才と言われる所以となっていると思いますし、特に「空中庭園」における母と娘に対する彼なりの回答に、存分に心を動かされた者としては、覚せい剤になんて負けないでほしいな。


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「今日まだ贅沢の印象を与える多くのものが、明後日には規範となる」ーヴァルター・グロピウス

「空中庭園」

豊田利晃監督の『空中庭園』の中で京橋家が暮らす「グランドアーバンメゾン」は、いわば人々の憧れだった「理想都市」のシンボルだった。幾何学によって美しく秩序づけられた高層の住居・広大なショッピングモールという、ヒューマンスケールを逸脱した理想都市「ニュータウン」。映画の冒頭部、娘のマナの「団地よ、ダンチ」という台詞からもわかるように、「家」というものに対して蓄積された幻想や欲望は時が経つにつれ、古めかしいものに成り下がる。人が消える。京橋家が16年間も払い続けているローンは3千万円も残る。なぜ私たちは、家や土地のために一生働いてまでそれらを手に入れようとするのだろう。家というものを考えると、それは私たちが求め、かつ虚栄心がくすぐられる、「家族」という関係を維持するための、境界線というものが極めて曖昧な容器である気がしてならないのだ。

かつて日本においてもバウハウスのように、「住宅の大量生産」を行い、安価でモダンな住宅を消費者に、という動きがあった。近代化の過程で多数の人がテクノロジーによって豊かな生活をするという大衆化の道筋を考えれば必然的なことである。しかし、その白い箱は全く売れなかった。消費者には住宅が工場で作られようとどうでもいい。でも、「工場でつくったように見える」ことには耐えられなかった。しばしば家や家族は他人に対する自慢の道具になったりするからだ。これをメディアによる過剰な「幸せな家庭の幻想」の流布による、システムキッチンやガーデニングに代表される「幸せな奥様像」、「他人の家との差別化による立派な亭主像」の氾濫と見てもいいかもしれない。「家」にまつわる個人の肥大化した執念が家は単なる「家庭の容器」でしかないことを忘れさせたのかもしれない。家族の団欒を円滑にするリビング+プライバシー確保の個室という間取りも、それが機能して家族がうまく暮らせる時代はとっくの昔に終わった。すべてのものは形を変える。規格とまでなった家族の形態だって変わっていくものなのだ。

だからこの映画を見ても、当たり前のことしか言ってないと思った。浄化だとか再生だとか、かっこいい言葉だが、家族の陰湿さや気持ちの悪さ、しまりの無さを表しているだけにすぎない。私たちは家族に関してはあらゆることを許して生きていく。特に母と娘の関係は、柔らかく温かい臓器のえぐりあいという形容が似合いすぎるほど辛辣なものだったりする。存在の否定や攻撃も最終的には受け止め、自分の血肉にしなければ、家族をやめて刑務所か病院に入ればいい。でも私たちはたいていそうしない。家族に対してはどんなにひどい行為をしたとしても、許してもらえるし許すだろう、やり直せるし繰り返すだろう、というそれが愛なのか犠牲なのかわからない、ふわふわして浮き足立っている「何か」によってしか存続していないことを認めて、家族をやるしかないのだし、そこからしか何も生まれてこない。そしてもう一度、愛という形のないものを信じて依拠するほかないのだと思う。
家族は容れ物を満たす体積を持ち得ていない。ただ、一緒にいる、あるいは、何か「見えないもの」を共有している。それだけあれば、離れていても、死んでしまっても、家族への想いやつながりは変わらないと信じている。いろいろあったし、たくさん失ってきたけど、あれだね、まあしあわせだね、と思えるのが、家族なんだと思うし、そこに希望があるのだ。
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# by littttoral | 2009-12-05 02:10 | columns | Trackback | Comments(0)
エロとか伸朗とか
今更ですが、保存もかねて。
3年前に書いたコラム。

大竹伸朗 『全景』東京都現代美術館


本当は何も言いたくない、大竹伸朗さんのこと

異国の地に行くと、やたらとコンドームの箱のデザインとか野原に突っ立ってるコンドームの広告とか、やけにトロピカルな雰囲気を出しているコンドームの店などがめちゃくちゃ気になってしまう。別にシュールでもギャグでもクソ真面目でもないあの表現。あっこれ何かしら?なんて思うと、ほとんどコンドームである。それらは風景の中に溶け込んでいて、そうだ、私に満面の笑みで近寄ってくる人さえも、さまざまな体位がよぼよぼの線で書かれた紙を持ったセックスショーの誘いの人だった。それに私は日本に長くいるけれども、これまで堂々として色とりどりな底抜けに明るいコンドームの野外広告なんて見たことがない。なんだろうあの夫婦みたいな人楽しそうに寄り添っている看板、すげえ色だな…とよく見たらコンドームの広告なわけである。なんだかあのあっけらかんとした「エロ」は私が住んでいる「ここ」では目に入りにくい情景であるみたいだ。道を歩けば風俗店やソープの看板、コンビニではコンドームの箱、実は腐るほど目に入っているわけだが、それらは切り捨てられていく。何も引っかからずに頭の中の回路を通り抜ける。もちろん興味も湧かない。たまに、「イタさ」みたいなものがまとわりつくだけだがそれは決まって、しかめ面で払拭されていく。
結局私は今自分が留まっている場所から離れたときにしか、私が求めているあのすがすがしくお気楽なのに断絶されて、渦巻きのように粘着力のある憂いな「エロ」に巡り合えない。その「エロ」が風景に溶け込んでいるが故の独特の違和感(しかしこれは「私たちにとって」の違和感であるが)にこそ、大竹伸朗さんの言葉を借りれば「燃える」のである。それはそっくりそのまま彼自身にも言い当てられるものだと思う。
それで私は嬉しくなったのだ、大竹伸朗の「全景」に行って。やっぱりこの人にはあの異国で出会う「エロ」が血液中に充満している。ドロドロしてて、すっきりしてる。到達点なんて設定しない、循環しているけど、生まれ変わって絶えず生産される「エロ」の底なし沼のような力に、目を背ける理由なんてなにもない。その感覚に、私は何を作ればいいのだろうか、と大きな力をもらうだけである。

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# by littttoral | 2009-12-05 01:21 | columns | Trackback | Comments(0)
ZINEの文章 おまけ・残夏 編


わき上がってきた感情を
どうにか押さえ込もうとしてしまう時がある。
何かの欲求に従わず静かに天井を見て、
やり過ごしてしまう自分の体に途方もない重力がかかっている。
それは地中ずっと奥までつながれているようで、実感したい。
裏側に触りたい。ほんとは全部、頭の中がどんな色で混ざっているのかまで。

ああ、生きているって思うことが、ごくたまにあって、そういう時に決まって私はこの自分の日々を、一生覚えておくために、目を離さないで、何も忘れないで、残しておきたいと思う。
今日の空に無数の雲があったことや、スピードを出して、自転車で土手を走っている時にゆっくり落ちていく葉っぱを捉えた時、消えちゃいそうなあの子の後ろ姿に、じりじり肌が焼けて赤らんでいくときの、どこかで、何かが、無くなっているんじゃなくて、生まれている。そう期待したいだけなんだ。
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# by littttoral | 2009-12-04 07:24 | columns | Trackback | Comments(0)
ZINEの文章2
彼女は2005年10月のある日、今日から年を取らない、と決めた。
なぜなら、ただ単に時間が過ぎていくという事実が怖かったからであると私は思っている。もう一、二の考えられる理由としてはあの人が、そのときの彼女の年齢に10個たした数で死んでいた事、彼女が理想とする自分を考えたときにもっとも信頼できる彼が年を取らないと決めたと、友達の家でぱらぱらとみた古い雑誌記事で語っていたことが挙げられるだろう。
しかし、10年とか20年とかいう到底数字では計り知れないはずの簡単な足し算に、彼女自身びっくりして立ち止まってしまったのかもしれない。忘れたくないことを忘れてしまうことをすごく怖がっている彼女の眼にはいつも何か小さな光の点が見えていて、それを目で追うだけで1日をやり過ごすこともあるようだ。たいていは白い壁や太陽を見ている時に眼の中に広がっている無限について考え、内側のことと外側のことがよくわからなくなってめんどくさくなって寝てしまう。
彼女はそれでも自分があとどれくらい生きられるのかということに捕らわれすぎているところがある。果たして10年後に自分が死ぬとしたら私は何ができるんだろう、と。いつ死んでもいいとか、死ぬ時は一緒だとか、死ぬ時はひとりだとか、死ぬ気でやるとか、死ぬほど好きだとか、死ねとか、簡単に死というコトバが、それはどういう意味なのかさっぱりわからなくなるほど、違う世界の音符の名前みたいにからっぽな点となって耳にまとわりつくからかもしれない。彼女自身、その小さい口から発せられる空気よりも軽いコトバにうんざりしているし、コトバをもっと暴力のように、コトバをもっとやわらかく、コトバをもっと艶やかに、コトバをもっと尊敬して、コトバを使うしかない彼女は、コトバに救われて、コトバに傷つき、コトバを切り裂いて、コトバを紡ぎたいと思っている。だから印刷されたコトバ、音にされたコトバ、切り張りされたコトバに、視覚的な興奮と、口に出してみたとき耳にしたときの心地よく突き抜ける振動の感じ、そして文字と文字がつながれている粘着の中にある巨大な衝撃から、その人の網膜に焼き付いてしまった色彩や映画や文学や景色や性的嗜好のソースを見出してしまうことに夢中になるのだ。でもそれは、結局のところその言葉に映し出されてしまう自分の現実の濃度によって自動的にありかなしか最高か最低か粋か野暮かの判断がなされているだけであって、だからこそ私たちにはそれぞれにかっこよい美しい感動的な大切なコトバというものがあるのだと思うのだ。コトバがそれ自体で普遍的であったり、詩的であったりするのではなくて、誰かから発せられたときに、自分の言葉というのは届かないことを前提にしなくてはならない。それは本物である必要はどこにもないが、私が、あなたが、届けたい、表現したいものを通過するときの、その経験が本物であればいいのであって、でもそれを感受するのは非常に難しい、それでもコトバには表現には心を突き破る力があると期待してしまうのだと彼女は目を輝かせながら言うのだが、私は鏡を見ながら、年を取るのも悪くないんじゃないのかな、とだけ彼女に言うので精一杯だった。

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# by littttoral | 2009-12-04 07:03 | columns | Trackback | Comments(2)
Elegy 
こちらも学生の頃ゼミで書いた文章。

Elegy

世界に存在するあらゆる美しいものを感覚することは、無理だ。
まだ見ぬところに美しさはあふれ、潜んでいる。その気の遠くなるような世界の中で私たちは生きているけれど、それを疑ったり絶望したりすることはしなくていい。きっと人生においてその都度、ご褒美のように美しいものに出会ったり気付いたりする機会が用意されているのだと思う。
そんなことを、思うようになったのは、自分が年をとったからなのか。22年間生きてきて、これまで経験してきたものが総体としてにじみ出るようになってきたのが分かる。自分の内面と向き合うなんて言うのは簡単だけど、ただただ気の滅入る人との関係性、自分の役割や悲しみの起源、今までもやもやしてつかめなかったものが見えてきた。私は、私の人生の感覚を表現し、その先にある絶対的な安心感を誰かに与えていきたいと本気で思うのである。
真夜中に自分の部屋の椅子の上で小さく蹲りながら、静かにヘッドフォンをして南博の『Elegy』に全神経を集中させる。私の呼吸は深くゆっくりになって途方もなく大きな安堵に寄りかかるのだけど、なぜだか息が詰まるのだ。胸が締め付けられて苦しいとさえ思う。そしてまた深呼吸をして私はやっと落ち着きを取り戻す。
南博は、なめらかな肌に指を滑らせるようにピアノを奏で、人の心の奥深く、ふと感じる恐ろしいほどの孤独やどうしようもない悲しさにそっと寄り添ってくれる。指先が鍵盤に触れる瞬間にこめた彼の悲しみは潔いからこそ温かい。本当に人を癒すということは、自分の身体の皮膚を剥いで包んであげるくらい必死で滑稽で痛々しいものなのだ。そこまでしなくては相手の悲しみをそっとすくいあげることなんて到底出来ないし、喜びや感謝なんてただの飾りになってしまう。そういう覚悟のようなものをElegyから感じる。それは「すべての苦しみとともにあの至福の時よ、戻ってこい」というニーチェの言葉のようにこのうえなく情熱的で、息が詰まるくらい美しい。

私にはまだ想像もできなかった美しさが、やっぱりそこには存在していた。


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学生の頃は、美しさということについてずっと考えていた。美しさは細部に宿るということを信じて、デザインや表現をしていたし、まだ見ぬ美しい世界への憧れは人一倍強いものだった。そして安心や癒しへの憧れも、やはり大きかった22歳の自分の言葉に、いやにはっとさせられてしまった。忘れていた感覚というわけではないけれど、私は今の自分がちょっとだけ恥ずかしくなった。
もっと世界は私にとって未知で、美しさへの期待があった。人を癒すということや、表現すること、人生への覚悟みたいなものが強くあった。もっと自信もあったし、もっと孤独と向き合っていたし、自己愛に満ちあふれていたかもしれないし、希望もあったのかもしれない。何より、言葉というものを真摯に捉えて大切にしていた。私はどんどんそれらを忘れて、退行していくことで、平衡を保とうとしていたのかもしれない。速度に寄り添い、多くの情報に埋もれていれば、安心できると思っていたのかもしれない。繋がっていさえすれば、独りになることはない。誰かが見ていてくれる。そして表面的に広がっていく何かによって、私の不安は内へ内へと恐ろしく増殖していった。

私はあの頃よりも果たして、美しさについて考察を深められているのだろうか?垂れ流されて序列された見なくても良いものの中に、光り輝く宝物なんてあっただろうか。そして本当は全部見たくないのに、ある種の恐怖観念によって、見ざるを得ないのだ。そのような己の弱みに自らつけ込むという悪循環の中で、私は大切なものを見失う術だけは身につけていたようだ。

あったかもしれない未来や、なかったかもしれない現在に思いを馳せていると、あの頃よりも確固として、体中から信じられるものを見つけた実感がある。全身全霊で自分と、そして人と向き合いたい。だからこそ私は情報を遮断する必要がある。もっとアウフヘーベンを、と言って死んだあの人のように、ここからはじめなくてはならない。そしてそれは、少しだけ重荷を減らしてくれるものであり、朝が来る感覚を取り戻す第一歩となるはずだ。

それにしてもはずかしいなあ。笑

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# by littttoral | 2009-12-04 06:24 | columns | Trackback | Comments(0)
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